どうも、かずくんです。
AI時代の社会構造を
「現象 → 構造 → 立ち位置」
という視点で観測しています。
つまり、AIが生まれてからの
「売上構造」「収入構造」
を観測しています。
本日のテーマは
『AI時代は立ち位置で未来が決まる|固定された観測』
ではお読みください。
SNSは、もともと
誰でも発言できる場所として広がった。
意見を書く。
情報を共有する。
議論に参加する。
多くの人が、
自分の考えを発信することができる。
そのためSNSは、
「誰もが声を持てる社会」
の象徴として語られることもあった。
しかし最近、
少し違う現象も観測されている。
それは、
発言しない人が増えている
という現象である。
SNSを見る人は多い。
情報も読まれている。
議論も広がっている。
しかし実際に発言する人は、
それほど多くない。
つまりSNSでは、
多くの人が見ているが
発言していない
という状態が生まれている。
なぜこのような現象が起きているのか。
ここではSNSを批判するのではなく、
SNS心理構造
という視点から
この現象を観測してみたい。
炎上の可視化は「発言リスク」を強くした
SNSでは、
炎上が頻繁に起きる。
ある発言が拡散され、
批判が集まり、
議論が激しくなる。
こうした現象は
多くの人に可視化される。
するとSNSを見ている人は、
あることを学習する。
それは、
発言にはリスクがある
という認識である。
何気ない投稿でも、
多くの人に見られる可能性がある。
言葉の選び方を間違えれば、
批判を受けることもある。
この経験や観察によって、
人は発言を慎重に考えるようになる。
その結果、
「発言しない」
という選択をする人も増える。
つまり炎上は、
発言を増やす現象であると同時に、
沈黙を生む現象
でもある。
SNSでは「見ている人」が圧倒的に多い
SNSの利用構造を観察すると、
ある特徴が見えてくる。
それは、
発信する人より
見ている人の方が圧倒的に多い
という点である。
多くの人は、
ニュースを見る。
投稿を読む。
議論を観察する。
しかし自分から発言することは少ない。
この状態は、
SNSの構造とも関係している。
投稿を書くには
自分の立場を示す必要がある。
しかし読むだけなら、
リスクはほとんどない。
そのためSNSでは、
発信する人
↓
観察する人
という構造が生まれる。
つまりSNSは、
発言の場であると同時に、
観察の場
でもある。
人は「安全な場所」で発言したい
人間の心理として、
人は安全な場所では発言しやすい。
友人との会話。
信頼できるコミュニティ。
安心できる環境。
こうした場所では、
自分の意見を出しやすい。
しかしSNSは、
必ずしも安全な場所ではない。
誰が見ているか分からない。
知らない人から反応が来ることもある。
つまりSNSでは、
不特定多数の視線
が存在する。
この環境では、
人は発言に慎重になる。
その結果として、
安心できるコミュニティでは発言し、
SNSでは読むだけ
という行動も増える。
つまり沈黙は、
消極的な行動というよりも、
リスクを避ける行動
とも言える。
沈黙は「新しいSNS行動」なのかもしれない
SNSは、
発信の場として語られることが多い。
しかし現在のSNSを見ると、
もう一つの行動が見えてくる。
それは、
沈黙
である。
投稿を読む。
議論を観察する。
情報を収集する。
しかし自分から発言することは少ない。
この行動は、
SNSの中では珍しいものではない。
むしろ多くの人が
この形でSNSを利用している。
つまりSNS社会では、
発信する人
観察する人
という二つの役割が存在している。
そしてこの「沈黙する人」の存在も、
SNSの構造の一部なのかもしれない。
SNSは「発言のリスク」を可視化する場所になった
SNSが広がったことで、多くの人が自由に発言できる環境が生まれた。
しかし同時に、もう一つの変化も起きている。
それは、発言の結果が非常に分かりやすく可視化されるようになったことである。
ある投稿が拡散される。
批判が集まる。
議論が激しくなる。
こうした流れを、多くの人がリアルタイムで目にする。
その結果、人々はSNSの中であることを学習する。
それは、発言は必ずしも安全ではないという認識である。
SNSでは、誰でも投稿を見ることができる。
そしてその投稿に対して、誰でも反応できる。
つまり一つの発言が、想像以上に多くの人の目に触れる可能性がある。
この環境では、人は自然と慎重になる。
その結果として、
「何も言わない」
「読むだけにする」
という行動を選ぶ人が増える。
つまりSNSは、発言を促す場所であると同時に、
発言のリスクを強く意識させる場所にもなっている。
SNSでは「観察する人」が多数派になっている
SNSは発信の場として語られることが多い。
しかし実際の利用構造を観察すると、
発信している人は全体の一部に過ぎない。
多くの人は、
投稿を読む。
議論を眺める。
ニュースを確認する。
こうした形でSNSを利用している。
つまりSNSでは、
発信する人
観察する人
という二つの役割が存在している。
そして多くの場合、観察する人の方が圧倒的に多い。
この構造は、インターネットの初期から存在しているとも言われている。
一部の人が情報を発信し、
多くの人がそれを読む。
SNSでも、この基本構造は大きく変わっていない。
むしろSNSでは議論が激しくなることも多いため、
発言することよりも観察することを選ぶ人が増えることもある。
つまりSNSは、
声を発信する場所であると同時に、
社会を観察する場所でもある。
沈黙は消極的な行動とは限らない
SNSで発言しない人を見ると、
消極的な行動のように感じることもある。
しかし心理的に見ると、沈黙は必ずしも弱い行動ではない。
むしろ状況を観察し、リスクを判断した結果として選ばれる行動でもある。
SNSでは、議論が急速に広がることがある。
そしてその議論は、予想以上に強い言葉になることもある。
この環境では、人は自分の発言がどのように受け取られるのかを慎重に考える。
その結果、
「今は発言しない」
「見るだけにする」
という判断が行われることもある。
つまり沈黙は、無関心というよりも、
状況を観察する行動として選ばれている可能性もある。
この視点で見ると、SNSにおける沈黙は、
新しいコミュニケーションの形とも言える。
SNSでは「信用のある人」だけが発言しやすくなる
SNSの議論を観察していると、
もう一つの特徴が見えてくる。
それは、発言の影響力が均等ではないという点である。
フォロワーが多い人。
長く発信を続けている人。
信頼を持たれている人。
こうした人の言葉は、広く共有されやすい。
つまりSNSでは、誰でも発言できる一方で、
実際に影響力を持つ人は限られている。
この構造の中では、
信用を持っている人ほど発言しやすくなる。
逆に、信用がない状態で発言すると、
批判や誤解を受ける可能性もある。
そのため多くの人は、
発言する人
観察する人
という形でSNSを使い分けるようになる。
つまりSNS社会では、
発言の自由が広がる一方で、
信用を持つ人の言葉が中心になる構造
も同時に生まれている。
最後に
SNSは、
多くの人が自由に発言できる場所として広がった。
しかしその一方で、
発言しない人
沈黙する人
も増えている。
この現象は、
SNSの失敗ではなく、
SNSの構造の結果
として理解することもできる。
炎上。
議論。
集団心理。
こうした要素が重なることで、
人は発言と沈黙を使い分けるようになる。
つまりSNSとは、
声が集まる場所であると同時に、
沈黙が広がる場所
でもあるのかもしれない。
こういう構造の話は、
一人で考えるより外から見た方が早いこともあります。


