どうも、かずくんです。
いま政治の話題を見ていて、
ふと思い出す名前がある。
野田佳彦。
好き嫌いは別として、
この人の名前には、
いまでも独特の「重さ」と「違和感」が残っている。
野田佳彦は「間違ったこと」をしたのか?
よく言われるのは、
増税、緊縮、現実路線。
たしかに、
生活の実感としては厳しかった人も多い。
でも正直に言うと、
理屈だけ見れば、間違ったことを言っていたわけじゃない。
数字は合っていた。
制度の説明も通っていた。
それでも、
多くの人の中に残ったのは、
「納得できない」という感覚だった。
問題は「正しさ」ではなかった
ここが重要だと思っている。
野田佳彦の政治が受け入れられなかった理由は、
政策の正誤よりも、
「人として、どこに立っているのかが見えなかった」
これに尽きる。
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誰の生活を見ているのか
-
どの痛みに一緒に立っているのか
-
どこまでを自分事として背負っているのか
これが、
多くの人に伝わらなかった。
中小の飲食店と同じ構造
これは、
中小の飲食店の話とよく似ている。
味が良い店はたくさんある。
価格が安い店も、便利な店もある。
それでも最後に差がつくのは、
「人」。
誰がやっているか。
どんな姿勢で立っているか。
そこに通う理由が、感情として残るか。
政治も、
結局はここから逃げられない。
正しいだけでは、信用は積み上がらない
野田佳彦の名前が、
いまも賛否と違和感を呼ぶのは、
正しさが、信用に変換されなかった
その象徴だからだと思う。
信用は、
説明して得るものじゃない。
時間と姿勢の積み重ねで、
あとから「そうだった」と認識されるもの。
これは過去の話ではない
この構造は、
政治だけの話じゃない。
ビジネスも、
コミュニティも、
個人の発信も、全部同じ。
正しいことを言っているのに、
なぜか人が離れる。
そのときは、
やり方よりも前に、
「どこに立って話しているか」
そこを見直した方がいい。
最後に
野田佳彦をどう評価するかは、
人それぞれでいい。
ただ一つ言えるのは、
正しさだけでは、人はついてこない。
これは、
いまの時代を生きる全員に、
かなり重たい示唆を残している。

