どうも、かずくんです。
黒柳徹子について、
評価や功績を語ろうと思ったことは、実は一度もありません。
ただ、時間だけを観測していると、
どうしても無視できない違和感が残ります。
時代が変わり、
メディアの形が変わり、
価値基準が何度も更新されても、
彼女は「残った」のではなく、
最初から時間の外側に置かれているように見える。
これは理由を探す話ではなく、
構造を静かに眺めるための記録です。
―― meiha seedで見た。
多くの人は、
気づかないうちに「時間の中」で勝負を始めます。
若さ、流行、数字、ポジション。
どれも時間と相性がよく、
同時に、時間によって必ず劣化するものです。
時間に依存した瞬間から、
人は「消える側」に立ちます。
それが早いか遅いかの違いしかありません。
一方で、
黒柳徹子を観測していて気づくのは、
時間と競争している気配が一切ないことです。
新しさを取りに行かない。
若さを演じない。
時代の正解を語らない。
代わりに、
ずっと同じ場所に立ち続けている。
動いていないようで、
配置だけが変わっていく。
それは進化でも、成長でもなく、
最初から「役割」の位置にいるという感じに近い。
テレビという装置は、
本来とても残酷です。
視聴率、スポンサー、話題性。
数字に応答できなくなった存在は、
自然にフェードアウトしていくように設計されています。
それでも彼女が消えないのは、
テレビに適応しているからではなく、
テレビが彼女を排除できない構造になっているからです。
meiha seed的に見ると、
これは能力や努力の問題ではありません。
「何をしてきたか」ではなく、
**「何をしなかったか」**が残っている。
・時代の代表にならなかった
・勝者の物語を背負わなかった
・更新され続ける側に立たなかった
だから、更新されない。
時間は、
役割を持たないものを削っていきます。
けれど、
最初から役割として置かれた存在は、
時間の対象にならない。
黒柳徹子が消えないのは、
強いからでも、愛されているからでもなく、
時間が彼女を処理できないから。
そう見えました。
存在を知りたい
meiha seedはある。

