どうも、かずくんです。
AI時代の社会構造を
「現象 → 構造 → 立ち位置」
という視点で観測しています。
つまり、AIが生まれてからの
「売上構造」「収入構造」
を観測しています。
本日のテーマは
『Googleはメディアか?──ブログメディアという立ち位置』
ではお読みください。
Googleはいま、メディアではない。
かつてメディアに近かった時期はあった。
だが、現在のGoogleは違う位置に立っている。
メディアとは何か
メディアは、情報の量ではない。
フォロワー数でも、到達数でもない。
前提と立ち位置が固定され、
そこから世界を見る場所が、メディアだ。
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どの距離で見るか
-
何を採用し、何を採用しないか
-
何を語らないか
それが時間を超えて保たれている。
この状態を、メディアと呼ぶ。
かつてのGoogle
以前のGoogleは、
メディアに近い振る舞いをしていた。
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編集者はアルゴリズム
-
基準は「役に立つか」
-
建前は「検索者のため」
完全な中立ではなかったとしても、
編集の意思は存在していた。
その時代、
個人ブログや小さな専門サイトが
メディアとして成立する余地があった。
いまのGoogle
いまのGoogleは、
はっきり言えば 配信インフラ だ。
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立場を取らない
-
判断を持たない
-
正解を出さない
最適化しているのは、
情報ではなく 流通 である。
どの情報を、
どの検索意図に、
どの順で流すか。
そこに、前提の固定はない。
なぜメディアではないのか
メディアは、
「ここから見る」という視点を持つ。
Googleは、
どこからも見ない。
検索意図が変われば、
結果は変わる。
社会が変われば、
評価軸も変わる。
これは欠点ではない。
役割が違うだけだ。
ブログメディアという立ち位置
ここで言うメディアは、
必ずしも組織や大規模媒体を指していない。
ブログであっても、
前提と立ち位置が固定されていれば、
それはブログメディアになる。
更新頻度やPVは関係ない。
個人か法人かも関係ない。
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どの前提で書かれているか
-
どの距離で世界を見ているか
-
時間が経っても、判断の位置が動いていないか
この条件を満たしていれば、
形式がブログであっても、
それは「コンテンツ置き場」ではなく
メディアとして機能する。
だから問題は、
ブログかどうかではない。
どこに立って書いているかだ。
ブログという言葉は、長い間「個人の日記」や「軽い情報発信」として扱われてきた。
しかし構造として見ると、ブログは別の可能性を持っている。
前提と立ち位置が固定されているなら、
ブログは単なるコンテンツの集合ではなくなる。
時間をかけて観測が続き、
同じ視点から世界を見続けるなら、
そこには履歴が残る。
履歴が残る場所は、
やがてメディアとして機能し始める。
つまりブログは、
コンテンツを置く場所ではなく、
定点を作る場所にもなり得る。
記事の一本一本は、
その場所に置かれた痕跡になる。
その痕跡が増えるほど、
場所は少しずつ重くなる。
重くなった場所は、
あとから意味を持つ。
だから問題は、
ブログかどうかではない。
どこに立って書かれているのか。
その前提が固定されているかどうかだ。
メディアは検索の外に立つ
検索は便利だ。
知りたいことがあれば、
すぐに答えに近い情報へたどり着く。
だから多くの人は、
検索の中に立とうとする。
しかし検索は、
立ち位置ではない。
検索は通り道だ。
人は検索から来る。
情報は検索を通る。
だが、そこに場所はない。
検索は、
情報を運ぶ仕組みであって、
世界を見る視点ではない。
メディアは違う。
メディアは、
「ここから見る」という
固定された位置を持つ。
検索は流れを作る。
メディアは定点を作る。
だからメディアは、
検索の中ではなく
検索の外に立つ。
検索から人が来てもいい。
だが、立つ場所は
その外側にある。
正確な整理
-
Google:流通路
-
メディア:定点
-
コンテンツ:通過する情報
-
書き手:プレイヤー
Googleは、
メディアを運ぶ場所であって、
メディアそのものではない。
なぜGoogleの中に立とうとしてしまうのか
多くの人は、無意識にGoogleの中に立とうとする。
検索順位を取りに行く。
アルゴリズムに合わせる。
評価される書き方を学ぶ。
その結果、Googleの評価軸が
そのまま書き手の立ち位置になる。
しかしGoogleは、立ち位置ではない。
Googleは、流通路だ。
流通路は、人を運ぶ。
情報を運ぶ。
コンテンツを運ぶ。
だが、そこに居場所はない。
通り道の上に立つと、
ルールが変わるたびに立ち位置も変わる。
アルゴリズムが変わる。
検索意図が変わる。
評価軸が変わる。
そのたびに、書き方も変わる。
すると、場所は固定されない。
メディアは、固定された場所だ。
Googleは、変化する通り道だ。
この違いを理解すると、
立ち位置の置き方が変わる。
Googleに最適化するのではなく、
Googleを通過させる。
立つのはGoogleの中ではなく、
自分で固定したメディアの上になる。
なぜ混同されてきたか
長い間、
人はGoogleの中に立とうとしてきた。
検索順位に立つ。
評価軸に合わせる。
最適化された書き方をする。
だがそれは、
通り道に居座ろうとする行為だった。
通り道は、
居場所ではない。
これからの立ち位置
メディアは、
Googleの外に立つ。
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最適化しない
-
依存しない
-
でも拒絶もしない
通過は許すが、立たせない。
検索から来ても、
滞在するのは別の場所。
判断が起きるのは、
定点としてのメディアだ。
ブログメディアという形
メディアという言葉を聞くと、
多くの人は大きな媒体を想像する。
新聞社。
テレビ局。
大規模なWebメディア。
しかしメディアの本質は規模ではない。
前提と立ち位置が固定されているかどうかだ。
ブログでも、
その前提が固定されていればメディアになる。
更新頻度は関係ない。
PVも関係ない。
個人か法人かも関係ない。
重要なのは、
どの立ち位置から書かれているかだ。
同じ前提から観測が続くと、
そこに履歴が積み上がる。
履歴が積み上がる場所は、
やがてメディアになる。
だから問題は、
ブログかどうかではない。
どこに立って書くのか。
そこが固定されているかどうかだ。
メディアは、流通の中には立たない。
流通は変わる。
検索も変わる。
評価の基準も変わる。
変わる場所の上に立つと、
立ち位置も一緒に動いてしまう。
だからメディアは、
流れの外側に定点を置く。
通過は許すが、
立つ場所はそこではない。
検索から来てもいい。
アルゴリズムに見つかってもいい。
だが判断が起きる場所は、
自分で固定した場所だ。
最後に
Googleは便利だ。
強力だ。
必要だ。
だが、
立つ場所ではない。
立つのは、
自分で前提を固定した場所。
これは答えではない。
ただの定点として、
ここに置いている。
こういう構造の話は、
一人で考えるより外から見た方が早いこともあります。


