メディアとコンテンツとプレイヤー──どこに立つのか?

売れない行動を止め、
前提条件と立ち位置を修正し、
売上を取り直すための設計書。

どうも、かずくんです。

書くことが当たり前になった。
発信することも、売ることも、学ぶことも、もう珍しくない。

それなのに、書くほど疲れる人が増えた。
発信するほど、薄くなる人も増えた。

ここには技術の問題もあるが、
もっと手前に、見落とされがちな差がある。

どこに立っているかだ。

1. メディア、コンテンツ、プレイヤーは別のもの

この3つは混ざりやすい。
混ざった瞬間に、全部が軽くなる。

  • メディア:前提と立ち位置が固定された「場所」

  • コンテンツ:場所に置かれる「痕跡」

  • プレイヤー:痕跡を残したり使ったりする「通過者」

重要なのは、
どれが上でどれが下という話ではない。

どれに立って生きるかの話だ。

2. 立つのは「メディア」

結論から言うと、立つのはメディアがいい。

メディアとは、情報の集合ではない。
フォロワー数でもない。
更新頻度でもない。

メディアは、
「この前提で世界を見る」という固定点だ。

  • 正解を出さない

  • 反応を追わない

  • 誰かを説得しない

  • 価値を証明しない

それでも、読んだ人がこう感じる。

この人(この場所)は、ここに立っている。

この感覚だけが残るなら、
それはメディアとして機能している。

3. コンテンツは「立つもの」ではなく「置くもの」

コンテンツは、あくまで痕跡だ。

記事、動画、投稿。
どれもコンテンツだが、コンテンツに立つと途端に不安定になる。

なぜならコンテンツは、
評価されるために存在しているからだ。

  • 読まれたか

  • 伸びたか

  • ウケたか

  • 売れたか

この軸に触れた瞬間、
書く側の立ち位置は、毎回更新されてしまう。

コンテンツを増やしても、
立ち位置が固定されていなければ、
増えるのは量だけだ。

だからコンテンツは、
「勝たせる」ものではなく、
「置く」ものになる。

置いて、触らない。
反応を見ない。
意味を説明しない。

それでも残るものがあるなら、
それは場所の力だ。

4. プレイヤーは「居続ける場所」ではない

プレイヤーは、人だ。
作る人、使う人、通過する人。

プレイヤーに立つと、
メディアは個人依存になる。

個人依存になると、必ず起きる。

  • 熱量が落ちたら止まる

  • 忙しくなったら消える

  • 気分が変わったら方向が変わる

  • 評価に傷ついたら辞める

これは責める話ではない。
人間として自然だ。

だからプレイヤーは、
入れ替わるものとして扱う方がいい。

プレイヤーが増えても壊れないように、
先にメディアを固定する。

すると、プレイヤーは「所属」ではなく
「利用」になる。

  • 使う

  • 離れる

  • また戻る

この循環は、依存を生まない。
そして、敵も生まない。

5. なぜ多くの人は逆順で詰むのか

多くはこう始める。

プレイヤー → コンテンツ → メディア

自分が前に出て、
コンテンツを増やし、
後から世界観を足す。

この順番は、短期では機能する。
でも長期では詰む。

なぜなら、最後に作ろうとするメディアが
すでにコンテンツの反応に侵食されているからだ。

反応のために書いた文章では、
立ち位置は固定されない。

固定されない場所には、信用が積もらない。

だから、書くほど疲れる。

6. 逆順にするだけで、構造が変わる

順番を変える。

メディア → コンテンツ → プレイヤー

  • まず立ち位置を固定する

  • そこに痕跡を置く

  • 使う人は後から増える

こうなると、反応の有無は関係なくなる。

書かない期間も壊れない。
書いたものも軽くならない。
人が入れ替わっても続く。

そして、必要なときだけ
「依頼」や「利用」が起きる。

売るのではなく、使われる。

7. どこに立つのか

最後に、もう一度だけ。

  • 立つのは メディア

  • 触るのが コンテンツ

  • 行き来するのが プレイヤー

この配置を守ると、
努力が報われる形に変わる。

反応がないことが失敗ではなくなり、
反応があることも目的ではなくなる。

書くことは、消耗ではなくなる。


これは答えではない。
ただの定点だ。

どこに立って書くか。
その確認のために、置いている。