AI時代になると、
「プレイヤー」が減り、「メディア側」が増える。
これは理想論ではない。
構造の必然だ。
まず前提として。
AIは、
・書く
・作る
・まとめる
・処理する
こうした実行レイヤーを一気に軽くした。
これは仕事が奪われる、という話ではない。
役割が浮き彫りになったという話だ。
AIが得意なのは、
「正解に近づくこと」。
逆に、
AIが持たないのは、
「どこから見るか」という立ち位置。
ここで分かれ道が生まれる。
・AIに指示を出す側
・AIに使われる側
この差は、能力ではない。
立ち位置の差だ。
プレイヤーは、
・指示が必要
・目的が必要
・正解が必要
だから、
AIが賢くなるほど、
「何をすればいいか分からなくなる」。
一方、メディア側は違う。
・何を観測するか
・どこに立つか
・何を残すか
これを決めているだけ。
実行は、
人でもいいし、
AIでもいい。
AI時代に増えるのは、
「作業者」ではない。
編集者
観測者
立ち位置を決める人間
つまり、メディア側だ。
重要なのは、
メディア側=発信力、ではないこと。
・フォロワー数
・影響力
・拡散力
これは結果であって、本質じゃない。
本質は、
判断をどこに置いているか。
・反応で判断しない
・評価で判断しない
・流行で判断しない
観測を積み、
判断を内側に置く。
AI時代は、
正解が早く、安く、量産される。
だからこそ、
正解の価値は下がる。
残るのは、
「どこから見ているか」。
メディア側に立つ、というのは
目立つことではない。
安全な位置を先に決めること。
AI時代にメディア側が増えるのは、
人が賢くなったからじゃない。
そうしないと、疲弊するから。疲れたら詰む。
それだけだ。
