ファシリテーションをしない交流会が続く構造

売れない行動を止め、
前提条件と立ち位置を修正し、
売上を取り直すための設計書。

交流会を続けるためには、
進行役が必要だと考えられてきた。
話題を振り、
時間を管理し、
沈黙を埋める。
これらをまとめて
ファシリテーションと呼ぶ。

しかし近年、
ファシリテーションをほとんど行わなくても、
自然に続いている交流会が観測されている。

ここで起きているのは、
運営の省略ではない。
交流会に求められている役割の変化である。

多くの場では、
ファシリテーションは
「価値を発生させる行為」として機能してきた。
参加者が何かを得たと感じられるよう、
体験を設計する役割である。

この構造では、
毎回、一定の成果が求められる。
話が盛り上がり、
学びがあり、
満足感が示されなければならない。

その結果、
場は成立しても、
継続の負荷が高くなる。

一方で、
ファシリテーションをしない交流会では、
価値の発生が前提になっていない。
何も起きなくても、
話が途切れても、
成立として扱われる。

この扱いが、
場の持続性を高める。

重要なのは、
何もしないことが
無秩序を意味しない点である。
場には、
「判断を回収しない」という
一貫した姿勢だけが残されている。

ファシリテーションをしないことで、
参加者は
期待に応える役割を背負わない。
話す人、聞く人、
沈黙する人。
それぞれが
評価されない位置に立てる。

この状態では、
参加者は
消費者でも、
提供者でもなくなる。
ただ、
そこにいる人になる。

結果として、
無理な演出がなく、
疲労も少ない。
続けるための理由が
特別に用意されなくても、
場は自然に残る。

ファシリテーションをしない交流会が続くのは、
運営がうまいからではない。
「続けなければならない理由」を
場に背負わせていない
からである。

場を続けているのは、
企画や仕組みではなく、
判断を急がせないという
単一の構造だと観測できる。