説明しない場に、人が安心する理由

売れない行動を止め、
前提条件と立ち位置を修正し、
売上を取り直すための設計書。

多くの場では、
最初に説明が行われる。
目的、流れ、期待される成果。
参加者が迷わないように、
丁寧に整えられる。

しかし近年、
ほとんど説明がなされないにもかかわらず、
人が落ち着いて過ごせる場が観測されている。

ここで起きているのは、
不親切さによる混乱ではない。
説明がもたらしていた負荷が、
取り除かれている状態
である。

説明とは本来、
理解を助けるためのものだ。
だが同時に、
「理解しなければならない」
「期待に沿わなければならない」
という役割を参加者に与える。

説明を受けた瞬間、
人は無意識に
自分の立ち位置を決め始める。
どう振る舞うか、
何を出すか、
どの程度関与するか。

この判断は、
場に入る前から始まってしまう。

一方で、
説明しない場では、
立ち位置が固定されない。
何者として来たのか、
何をする人なのかが
決められないまま残る。

この未確定の状態が、
緊張を下げる。

重要なのは、
説明がないことが
放置を意味しない点である。
説明しない場では、
「分からないままでいていい」
という扱いが
最初から成立している。

この扱いがあるとき、
人は防御をしなくて済む。
理解を示す必要も、
納得したふりをする必要もない。

結果として、
人は
評価される対象ではなくなり、
その場にいるだけで成立する存在になる。

説明しない場が安心を生むのは、
曖昧さが心地よいからではない。
判断を始めなくていい時間が、
最初から許可されている
からである。

現代の多くの場は、
説明によって親切になった。
その一方で、
説明の量だけ
判断の量も増えている。

説明しない場は、
この増えすぎた判断を
入口で止める。

だからこそ、
人は安心する。
理解できたからではなく、
理解しなくても問題にならなかった
という感覚が残る。

説明しない場は、
参加者を導かない。
代わりに、
消耗させない。

そのこと自体が、
安心として体に残っていく。