場は、
売るものだと考えられてきた。
価値を言語化し、
魅力を伝え、
参加する理由を示す。
その結果として、
人が集まる。
この構造は、
合理的で分かりやすい。
しかし同時に、
ある前提を含んでいる。
場は、消費されるものだ
という前提である。
場を売るとき、
参加者は
顧客として場に入る。
何が得られるか、
期待に見合っているか、
費用や時間に対して
納得できるか。
この判断は、
場に入る前から始まる。
そして場にいる間も、
終わった後も続く。
一方で、
場を売らない場合、
この判断が発生しにくい。
何が得られるのかが
定義されていないため、
評価する基準が生まれない。
ここで起きているのは、
集客放棄ではない。
参加者を
評価者の立場に置かない
という選択である。
場を売らない場では、
参加者は
受け取る人でも、
見極める人でもなくなる。
同時に、
何かを返す必要もなくなる。
重要なのは、
売らないことが
無責任を意味しない点である。
売らない場では、
「何も起きなくても成立する」
という扱いが
最初から共有されている。
この扱いがあると、
人は
成果や貢献を
証明しなくてよくなる。
その結果、
場にいること自体が
負担にならない。
人が残る理由は、
居心地がいいからではない。
消耗しなかったという感覚が
身体に残るからである。
場を売ると、
人は集まりやすい。
しかし同時に、
比較と期待が生まれ、
去る理由も増える。
場を売らないと、
人は多く集まらない。
だが、
残る理由を
無理に作らなくて済む。
結果として、
続く人だけが残る。
熱量が高いからではなく、
無理をしなくてよかった
という実感を持っているからである。
場を売らないことで残るのは、
ファンではない。
常連でもない。
ただ、
その場に戻れる人である。
場を売らないと人が残るのは、
魅力がないからではない。
判断を引き受けさせない位置に
場が置かれているからだと
観測できる。