AIの普及によって、知識の取得や技能の習得は学校の外でも容易になった。
検索、要約、翻訳、設計といった行為は、個人が単独で行えるようになっている。
この状況で観測されるのは、
教育の目的が不明確になっているという現象である。
従来の教育は、
「社会で必要とされる能力を身につける」
という前提の上に成り立っていた。
しかしAIの登場によって、その前提自体が揺れている。
能力は、身につける対象ではなく、
外部からいつでも利用できるものに変わりつつある。
その結果、学校は
「何を教える場所か」
よりも
「人をどこに置く場所か」
としての性質を強めている。
観測できるのは、学校が
学習効率の場というより、
判断を保留できる空間として機能している点である。
・すぐに結論を出さなくてよい
・競争から一時的に外れてよい
・役割を決めなくてよい
こうした状態を許容できる場所は、
社会の中では限られている。
AIが判断や生成を代替するほど、
人間は「決めなくていい時間」を必要とする。
学校は、その時間を制度として確保している。
ここで起きている変化は、
教育の価値が上がったり下がったりしていることではない。
教育の役割が、成果から位置へと移動しているという点である。
学校は、
何かを達成するための装置というより、
判断を急がなくてよい立ち位置を提供する場として存在している。