「身体が弱く、副業をする体力がないからNISAを選ぶ」
こうした言葉を聞く機会が増えている。
ここで観測するのは、
投資の是非や理解度の問題ではない。
収入を得る行為と身体の関係が変化しているという前提である。
従来、副業は
・時間を増やす
・労力を追加する
ことで収入を補う手段だった。
この前提には、
体力と稼働が比例する構造がある。
一方で、
身体的な制約がある場合、
労力を増やす選択肢は成立しにくい。
その結果、
行動ではなく仕組みに判断を預ける選択が現れる。
NISAは、
労働を伴わず、
時間の経過に期待を置く制度として認識されやすい。
ここで重要なのは、
投資が楽だから選ばれているのではない点である。
観測できるのは、
「働けないこと」を個人の問題として抱え込まなくて済む場所
を探す動きである。
身体を使う行為が難しいとき、
判断は
・自分で増やす
から
・制度に委ねる
へと移動する。
この選択は、
怠惰でも逃避でもない。
体力を前提とした稼ぎ方が、
万人向けではなくなったという現実への適応である。
同時に、
判断を制度に預けるほど、
結果に対する実感は遠くなりやすい。
そこに安心が生まれる場合もあれば、
不安が増幅する場合もある。
観測できるのは、
投資が解決策になっているかどうかではなく、
労働と生存を結びつけてきた前提が揺らいでいるという構造である。