「判断を外に出す」という言葉は、
依存や思考停止として語られることが多い。
しかし、ここで観測するのは
心理状態の問題ではない。
判断が、どこで処理されているかという構造である。
判断とは本来、
情報を受け取り、
前提を踏まえ、
結果を引き受ける一連の行為である。
この中には、
不確実性と責任が必ず含まれる。
判断を外に出すとは、
この一連のうち
どこかを自分の外側で完結させる行為を指す。
たとえば、
・正解を他人に決めてもらう
・指示に従うことを選択とみなす
・制度やアルゴリズムに委ねる
といった行為は、
判断を外に出した状態として成立する。
重要なのは、
外に出すこと自体が
誤りでも逃避でもない点である。
複雑な社会では、
すべてを個人で処理することは難しい。
観測できる違いは、
外に出した判断を、
どこで回収しているかである。
判断を外に出したままにすると、
結果が自分に返ってきたとき、
納得や実感が伴いにくい。
「決めた覚えがないのに、
結果だけが来る」という感覚が生まれる。
この状態が続くと、
人は
判断を避けているつもりで、
判断不能な状態を引き受け続けることになる。
一方で、
判断を一時的に外に出しながらも、
最終的な引き受けを自分に戻す場合、
外注は機能として成立する。
問題になるのは、
外に出したことではなく、
戻ってこないことである。
現在、
判断を外に出しやすい仕組みは増えている。
AI、専門家、ランキング、
レビュー、アルゴリズム。
これらは判断を軽くする一方で、
回収地点を曖昧にする。
そのため、
判断を外に出す行為は
無意識に行われやすい。
そして、
外に出していること自体に
気づきにくい。
判断を外に出すとは、
「考えないこと」ではない。
判断が完了する場所を、
自分の外側に設定することである。
観測できるのは、
この設定が増えるほど、
人は行動しているのに
立ち位置が不安定になるという構造である。