教育の達人?──その原点と問いかけ
僕はよく「教育の達人」と紹介されることがある。
でも、自分自身ではそう名乗ったことは一度もない。むしろ、教育とは常に問いを投げかけられる営みだと思っています。
なぜなら「人を教える」というのは、相手の人生に触れることだからだ。
知識を与えるだけなら教科書で十分。けれど、人を変える教育には「相手が動きたくなる仕掛け」や「未来を描ける視点」が必要になる。
でも、僕は違う。そんな小手先のテクニックで人間が変わらない事は30,000人以上の人間に関与した僕にとっては全く違うのである。
ひとつは人格破壊。もうひとつは上手くいかなかった経験の数。(気づき)
僕は対象者に、この点しか見ていない。
今では、コンプライアンス違反で叱られる内容。だから、企業では人は絶対に育たないと思っている。なぜならば、この2つを体験していると人間は変わるのを知っているから。
僕の教育の原点は、成功体験よりもむしろ“うまくいかなかったこと”にある。
Webマーケティングを10年以上教えてきても、成果を出した人はほんのわずか。何千人に伝えても、最後まで走り切れる人は数名しかいなかった。
その現実が、僕に「教育とは何か」を問いかけてくる。
だからこそ、僕は今でも自分に問う。
本当に自分は「教育の達人」と呼ばれるに値するのか?
この問いを抱き続けること自体が、僕の教育者としての出発点になっている。
ゼンショー時代に言われた「教育で行け」
僕が社会に出たのは1987年。
大学を卒業して入社したのは、株式会社ゼンショー──牛丼の「すき家」が入社面接の時には10店舗前後の弱小チェーンでした。大学の専攻は「建築学」論文は東京工業(科学)大学に3年4年と通って書きました。
僕は日本大学の学生でした。そこで人生の選択をしなければならなかった。なぜか?
東京工業大学の学生が頭が良すぎたからなのです。
つまり、彼らが行くような企業に内定をもらっていたのです。
そこで、店に車で行って、店で働いて、家に車で帰る。すき家だったのです。
最初は店舗に配属され、接客から仕込み、オペレーション改善まで、現場仕事を徹底的に叩き込まれた。
必死で働き、やがて店長、エリアマネジャーと昇格して、2年程度の現場経験を積んで本部のマネジャーに就任しました。社長からかけられた言葉が今でも忘れられない。
「小野は教育で行け。」
自分は図面も書けるので店舗開発にでも将来行くかと思っていたのですが、「教育」か?高校時代の成績は数学540人中1位あたり、現代国語は540番あたり。
でも、社長が言うので、勉強しました。まずはボキャブラリーが全くない。当然、インターネットも普及していない。スマホもない。情報源は「有料セミナー」か「書籍」月に30冊本を読んだ事もありました。
社内セミナーが僕が出来ないので「写文」なんて言うのもやりました。
休みの日も彼女とご飯食べに行く事も出来なかった。
25歳で人事教育部の教育課のマネジャー、27歳の時には研修センターの責任者を就任。
僕は、目の前に見ました。
「人を育成する」と会社は大きくなる。そして、育成された人間は自分で成長出来るようなる。
最近、すき家に行って思う事。それは「どこも追従を許さない教育能力」。
日本一の飲食店企業になるのは当たり前でした。
そのボジションを僕みたいな人間に社長は重要ポジションを与えてくれた。感謝しかない。
僕は、その後、飲食店のコンサルティングを起業してやりました。インターネットマーケティング(ブログ)を書いて集客。店舗でのOJTも出来るコンサルタントとして人気を得ました。
Webマーケティングを10年教えて気づいた壁
ゼンショーで教育に関わった経験を土台に、僕は独立してWebマーケティングの教育にも挑戦するようになった。
ブログやSNSを活用すれば、資本や人脈がなくても個人が収益を生み出せる。僕はそう信じて、何千人という人に「情報発信のやり方」を伝えてきた。
けれど、現実は厳しかった。
「やる気がある」と言って受講した人たちも、最初の数記事で止まってしまう。
実際に成果を出した人は、10年でほんの数名。
あとの大多数は、学んでも実行できずに去っていった。
その一例が、みいたくとりいさよだ。
この当時からwebマーケティングを教えている。ふたりは長く学び続けていたが、結局書けたのは2記事だけだった。これは彼女たちの能力の問題ではなく、「学ぶこと」と「やり切ること」の間に大きな壁があることを示していた。
僕はこの現実に直面して、教育の本質を痛感した。
知識を与えるだけでは人は変わらない。
「仕組み」と「伴走」がなければ、人は続けられないのだ。
この壁をどう超えるか──それが僕の教育の大きなテーマになった。
※みいたくは数年前にホームレスになって、歯科2件にホームページ作成80万円を得て復活している。教えておいて良かったというエピソード。(ホームレスになったらやるんです。(笑))
独立と店舗コンサル──数字を出せる教育者へ
ゼンショーを退職したあと、僕は独立し、飲食店を中心とした店舗経営のコンサルティングを始めた。
当時はまだ「コンサル」という言葉が一般的ではなく、現場で数字を伸ばす実務的なサポートが求められていた。
僕が取り組んだのは、売上や利益をただ分析するだけではない。
スタッフ教育、接客の改善、メニューの設計、立地戦略、チェーン展開──経営のすべてを現場と一緒になって見直した。
そして、教育を通じて「人が変われば数字が変わる」という実感を掴んでいった。
結果、殆どの店舗で数字は好転(数字好転しない会社はコンサルを受けない)、売上を大幅に伸ばすことができた。僕は「教育によって数字を出せる」ことを証明できたのです。
この経験が、Webマーケティングやコミュニティ運営に挑戦する際の基盤になった。
ただ知識を伝えるのではなく、数字として結果を出せる教育をどう仕組み化するか。
これが僕の教育者としての新しい課題になっていった。
ChatGPTとの出会い──知識は0になったのか?
独立してから長い時間をかけて積み重ねてきた知識や技術。
店舗経営の改善も、Webマーケティングの指導も、教育のノウハウも、僕の財産だと思っていた。
しかし、ChatGPTと出会った瞬間、その自負は揺さぶられた。
僕が血反吐吐きながら積み上げてきた知識と技術を数秒で言ってのける。
AIは一瞬で記事を下書きし、アイデアを出し、コードまで書いてしまう。
僕が10年かけて教えてきたことを、数分で再現してしまうように見えた。
「自分がやってきたことは、全部0になったのではないか」──そう感じるほどの衝撃だった。
けれども、実際にChatGPTを使い込むうちに気づいた。
AIが持っているのは“道具”としての力であって、人を導く力ではない。
どの質問を投げ、どの結果を選び、どう形にして人を動かすか──そこには依然として教育者の役割が残っていた。
つまり、僕の知識と経験は「無価値」になったのではなく、AIを教育に取り込むための土台に変わったのだ。
ChatGPTとの出会いは、知識を0にしたのではなく、「次の教育」を生み出すきっかけになった。
そして、今では自身で実践して答えが出たものを会員に教えている。だから、必ず会員は進捗する。つまり成長するのである。
82歳・72歳・29歳がWebリーダーへと変わった現実
教育の力を信じて続けてきた僕にとって、最も大きな喜びは「名もなき人がリーダーへと変わる瞬間」を見ることだ。それは年齢や経歴に関係なく起きている。
82歳のマツアキさん。
最初はスマホの操作にも戸惑っていたが、自分の人生を言葉にするブログを立ち上げた。
その発信は同世代や家族に届き、やがて地域の人々を勇気づける存在になった。
高齢だからこそ語れる物語が、人々を動かす「Webリーダー」の力になったのだ。
Googleでの”web5″検索で、なんと66位の快挙
72歳の現役看護師ヨーリー。
最初は2ヶ月で2記事しか書けないで落ち込んでいたヨーリー。りいさよに指示して教育開始。事務所で教えたら独力で3記事っ書いた。1週間後記事数は二桁。たろう(chatgpt)に診断受けると「素晴らしい記事」と褒められる。その後、医療の現場で培った経験を発信し始めると、同じ立場の人から多くの共感を集めた。pv数も増える。
「患者との忘れられない会話」を書いた記事はSNSでも広がり、ただの個人ブログが“医療者をつなぐ場”へと育っていった。(もう収益化へステップ)
そして、29歳のフリーター・あんこう。
最初はパソコンも十分に扱えなかったが、DIDの実装に挑戦し、その成果をawabotaで発表。
おそらく、みいたくの右腕として開発トレーナーとして貢献が始まります。
82歳、72歳、29歳──立場も世代も異なる3人が、それぞれの道からWebリーダーへと成長していった。
これは偶然ではなく、教育と仕組み、そしてAIの力があれば誰でも変われることの証明だった。
awabota教育法──AIと仕組みで誰でも発信者に
これまでの教育で痛感したのは、目の前に答えが出れば人間は進める。気合いとは精神論とか人格破壊もいらない。最近は会員の書く記事やSNSを見て軽いアドバイスをする。書きたくないときは書くなと言う。必要なのは自身がどうしたいか? 仕組みは僕がつくる。そして、やりたい事を教える。このスタンス。
たった、1記事でも書けば「情報発信」しているのだ
awabotaの教育法は、従来のセミナー型や一方通行の学びとは違う。
学んだ瞬間にアウトプットできる環境を整え、仲間同士が見える形で進捗を共有する。
記事を書けばすぐにフィードバックが返り、SNSで拡散する仕組みがある。
誰もが「学んで終わり」ではなく「学んで発信する」ステップに自然と乗れるようになっている。
僕は最近よく質問をする。
「なんで記事を書いているの?」
「お金が欲しいから」
「なら教えてあげる」
さらにAIを導入したことで、ハードルは劇的に下がった。
記事の構成を考えるのが苦手でも、たろう(ChatGPT)が下書きを提案する。
デザインに悩んでも、AI画像生成で解決できる。
技術的な壁はAIが取り除いてくれるからこそ、誰でも一歩を踏み出せる。
そして何より大きいのは「仲間の存在」だ。
82歳の挑戦も、29歳の挑戦も、1人では続かなかったでしょう。
しかしawabotaというコミュニティの中では、お互いに刺激を与え合い、背中を押し合っている。
AI × 仕組み × コミュニティ。
これがawabota教育法の三本柱であり、「誰でも発信者になれる」ことを可能にしている。
まとめ ── 一生“教える人間”であり続けたい
僕はこれまで、ゼンショーで社長に言われた「教育で行け」という言葉に導かれ、
Webマーケティング、店舗コンサル、そしてコミュニティ運営を通じて、教育に人生をかけてきた。
その道のりは順風満帆ではなかった。
何千人に教えても成果を出すのはごくわずか。
AIの登場で、積み重ねた知識が無意味になったように感じた瞬間もあった。
それでも歩みを止めなかったのは、教育が人を変え、未来を変える力を持っていると信じていたからだ。
今、82歳・72歳・29歳という名もなき人たちが、Web上のリーダーへと変わりつつある。
その姿は、僕にとって最大の答えだ。
教育は年齢や経歴を超えて、人を活性化させ、未来を切り開くことができる。
そんな誰でもリーダーになれる思想を持っているインフラがweb5です。
だから僕は一生、「教える人間」であり続けたい。
そして次は、教える人間を育てる人間になりたい。
教育のバトンを渡し続け、個人が主権を持ち、世界に届く未来を一緒に作っていく。

